企業理念「夢を抱きつづける会社であること。」
株式会社 L`artefice
代表取締役社長
創業者である澤 善市は、第二次世界大戦中、中島飛行機(現 SUBARU)にて零式艦上戦闘機(零戦)のエンジンの製造を担当していました。終戦後その技術力と知識を活かし起業したのが始まりでした。
そんなある日、エンジンの加工を得意とする澤のもとに本田宗一郎氏(現 本田技術研究所 創業者)が、エンジン加工の相談に訪れ、レース用試作部品の開発依頼を受けることになりました。その後、治具や2輪車用レース部品の部品供給を本田技術研究所に始めることになりました。1959年、初めて125CCクラスのレースに参戦し、見事完走して6位入賞。そして2年後の1961年にマン島TTレースにて独占優勝を果たすことが出来、その実力を世界に証明することが出来ました。1974年には、エコエンジンの先駆者と言えるHONDAの低公害型のCVCCクリーンエンジン開発にサプライヤーとして賛同して参りました。そして、F1全盛期の1988年に、F-1世界GPのHONDAのエンジン開発において部品供給を開始することになりました。アイルトン・セナとアラン・プロストが乗る「ホンダ・マルボロ・マクラーレン」がドライバーズチャンピオンを獲得しました。
ラルテフィッチェは、さらなるチャレンジをするべく、航空宇宙、船舶、自動車、医療、食品、ロボットとさまざまなジャンルに挑んできました。創業者の澤がよく口にしていた「不可能なことはない!」をモットーに「不可能を可能にする物づくり」を目指しております。日本の物作りの技術継承を目的として、一度引退したプロの職人を呼び集め若手の職人の教育、育成もしております。
自分たちに出来ないことはない、、、
どんなことでもチャレンジする、それが私共ラルテフィッチェのポリシーです。
会社概要
沿革
1945年11月 | 創業者である澤 善市が戦時中に中島飛行機(現SUBARU)にてゼロ戦を製造していた。終戦後、その技術力を活かし起業する。 |
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1955年 | 本田技研工業(白子工場)と取引開始。 |
1960年 | 本田技術研究所と取引開始。 |
1961年07月 | 当社が技術協力を行った本田技術研究所の「ホンダレーサー」が、英国 マン島TTレースにて独占優勝を果たす。 |
1974年05月 | 本田技術研究所のCVCCクリーンエンジン開発に寄与する。 |
1981年10月 | 日本専売公社機械製作所(現 日本たばこ産業)と取引を開始。 |
1983年09月 | 世界GP500のエンジン開発において、ホンダ・レーシングへ技術提供。 同エンジンのマシンを駆るフレディ・スペンサーがチャンピオンを獲得。 |
1986年10月 | 当社が技術支援を行ったホンダエンジン搭載チームが、F-1世界GPコンストラクターズチャンピオンを獲得。 |
1988年08月 | F-1世界GPのエンジン開発において本田技術研究所をサポート。搭載チーム「ホンダ・マルボロ・マクラーレン」がコンストラクターズチャンピオンを獲得。 |
1996年08月 | 石川島播磨重工業株式会社(現 IHI)と取引を開始。 |
1998年08月 | 石川島検査計測株式会社(現 IHI検査計測)と取引を開始。 |
1999年01月 | 積水化学工業株式会社奈良工場と取引を開始。 |
2005年12月 | 新工場を宇都宮に移転/本社を宇都宮へ移転。 |
2005年12月 | 東京営業所を設置。 |
2016年12月 | 日本たばこ産業株式会社九州工場と取引を開始。 |
案内図
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